自身の吃音について
私が吃音を発症したのは、5歳(保育園の年長)の頃でした。母が保育園の先生に私の話し方について相談していた記憶はおぼろげにありますが、私自身には全く自覚がありませんでした。
「言葉は頭にあるのに、出てこない」という感覚
自分の話し方が周りの友達と違うと自覚し始めたのは、小学2年生の時です。「うまく言葉が言えない」と感じることが増えました。自分の感覚としては、言いたいことは頭の中に明確に浮かんでいるのに、喉の奥でつっかえて言葉が出てこない状態でした。話し方の違いを気にしてはいたものの、深く思い悩むほどではありませんでした。両親も私の吃音に気づいていましたが、私自身がそこまで落ち込んでいなかったため、普段通りに接してくれていました。
当時、吃音が出ると周りの大人からよく「ゆっくり」「落ち着いて」と声をかけられました。しかし私の中では「自分は十分落ち着いているのに、言葉だけが出ないんだ」という強い葛藤がありました。当時は私も両親も「吃音」という言葉すら知らず、身近に同じような話し方をする大人もいなかったため、「大人になれば自然に治るものだろう」と漠然と思っていました。
人生で最も話せなかった時期
小学2年生から4年生にかけては、私の人生の中で最も言葉が出なかった時期です。言葉の最初の音が出ない「難発(ブロック)」の症状がメインでした。言葉を絞り出そうとして舌を強く噛んでみたり、息を強く吐き出してみたりと様々な工夫をしましたが、それでも言葉は出ませんでした。次第に人前で話すことが恥ずかしくなり、国語の音読の時間は苦痛でしかありませんでした。
忘れられない出来事があります。クラスの発表会で黒板の前に立って話す時、どうしても言葉が出ず、無言のままチャイムが鳴ってしまいました。その瞬間、悔しさと情けなさで泣いてしまったのです。あの時の沈黙の時間は、当時の私にとって何十分にも感じられました。
小学5、6年になると、本来の性格もあってクラスのムードメーカー的存在にはなっていたものの、「話すこと」への自信は失われたままでした。思春期に差し掛かり、男女の目を意識し始めると同時に、「自分がどう思われているか」、特に「話している時にどう見られているか」を強く気にするようになりました。
「話す」ことから「聴く」ことへ
中学は受験をし、中高一貫校へ入学しました。地元の友人から離れた新しい環境での友達作りにおいて、私は吃音を隠すことを選びました。「自分が吃音だとバレたくない」。言葉が詰まりそうになった時は、わざと咳払いをしたり、別の言葉に濁したりしてなんとか乗り切っていました。
しかし、言葉を発する以上、吃音を完全に隠し通すことはできません。時折「あなた、どもるね」と指摘されたり、私の苦手な行をわざと「〇行、言ってみて」とからかわれたりすることもありました。
そうした中学・高校時代、自分の言いたいことをうまく話せないことの裏返しからか、私は人の話を「聴く」ことが好きになっていました。友人から相談を持ちかけられることも多くなり、何か気の利いたアドバイスをするよりも、ただじっくりと話を聴く私の姿勢が、周りにとっては心地よかったのかもしれません。
高校生になり進路に迷った時、特別な夢はありませんでしたが、「この『聴く』ということを仕事にできないか」と考えました。そこで心理カウンセラー(当時の臨床心理士)という職業を知り、心理士の指定大学へ進学することを決めました。
「吃音」という言葉との出会い、そして研究への道
転機が訪れたのは大学2年生の時です。精神医学の授業で、初めて「吃音」というものが紹介されました。
「連発」「伸発」「ブロック」――説明される症状は、どれも自分に痛いほど当てはまりました。幼い頃から抱えてきたあの「話しづらさ」には、「吃音」という正式な名前があったのだと知り、心底驚きました。そして何より、嬉しかったのです。長年自分を縛り付けていた正体不明の影から、すっと解放されたような気がしました。
家に帰ってからインターネットで「吃音」について調べまくりました。そこには、自分が感じていた話しづらさや、独自に編み出していた対処法がすべて言語化されて紹介されていました。私は興奮冷めやらぬまま、紙に「吃音」と書き、両親にも説明をしました。
(※ちなみに、その精神医学の授業では「吃音はうつる」と教えられましたが、吃音の研究者となった今振り返ると、あれは全くの出鱈目だったと断言できます。)
19歳の時、田町で行われていた東京言友会(吃音当事者の自助グループ)の定例会にも足を運んでみました。初めての参加は非常に緊張し、会場のドアの前で「やっぱり今日は帰ろう」と何度も引き返そうとしました。しかし勇気を出して中に入ると、そこには自分と同じようにどもりながら話す人たちがたくさんいました。同じ悩みを共有できる仲間がいる嬉しさを感じた一方で、白髪のおじいさんになっても吃音は治らないのだという現実に直面し、少し悲しいような、複雑な感情を抱いたのを覚えています。
大学3、4年での卒業論文は、当然のように吃音をテーマに選びました。「自分は当事者だから、吃音のことはよく分かっている」と思っていましたが、研究を通じて、これまで自分の中で整理がついていなかった様々な感情や事象が、理論的にどんどん明確になっていく感覚がありました。この研究プロセスは、私にとって非常に楽しいものでした。
研究者としての現在
卒業後、当初目指していた心理士の指定大学院へ進む道もありました。しかし私は、資格取得を諦めてでも「吃音を専門に研究したい」という強い思いに突き動かされ、吃音研究を専門とする大学院へ進学し、研究者になる道を選びました。
大学院で所属した研究室は、まさに吃音研究の最先端でした。これまで本や論文でしか見たことのなかった著名な先生方がおり、何より私と同じ吃音当事者の先輩や仲間がたくさんいて、とても居心地の良い空間でした。
こうして私は、当事者としての原体験と、心理学・研究という客観的なアプローチの両輪を手に入れました。「言葉が出ない」ともがいた小学生の私、吃音を隠して話を聴き続けた中高生の私、そして「吃音」という概念に出会い救われた大学生の私。それらすべての経験が、現在の私の基礎研究および臨床研究の根幹に息づいています。
これからも、吃音のメカニズムの解明と、当事者がより自分らしく生きられるための心理的支援のあり方を探求し、研究者として、そして一人の当事者として、社会に還元していきたいと考えています。